秀でよ凡才

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今週の含羞

 僕はよく間違いを犯す。単純でくだらないミスもよくするし、その場の流れ意図を汲み取り損ねるせいで場違いな言動をしては変な空気にして人様に迷惑をかける。
 それでいて虚栄心が強すぎて人様に誤解されたくない、悪意があってやったことだと思われたくないと怯えるせいで、なにかしら間違いを犯すたびに恥ずかしさのあまり強い自己嫌悪に陥る。そのたびに「この感情がN倍になったときに人は愧死するのだろうな」と思っている。Nが1.01なのか1億なのかはわからないけれど。あと、なんだったらたまにNが0.5倍に感じるときすらある。
 ……ごめんなさい。さっきは「と思っている」と書きましたけれど実際はまったく思ったことがないです。なぜなら今の今まで恥ずかしさのあまり死ぬことを「憤死」だと誤解していたから。念のために辞書を引いてよかった。本が好きといいつつこれだからざまあねえな。あと、よくよく考えると言いたかったニュアンスとしては悶死が一番近いしな。
 閑話休題。以下に書くのはいつも一人で抱えてばかりの含羞を吐き出して少しは楽なろうという目論見です。


 先日、twitterで行われた2010年代に単行本が刊行された漫画から好きな作品を選ぶ投票企画に参加しました。
 この十年に限らず漫画をろくすっぽ読んでいない僕の不勉強と不見識で参加すること自体がすでに愧死ものなのだけれど、門戸が開かれている以上は参加することは悪い事ではないだろうし、観測範囲が狭いからこそ僕がいなければ零れてしまう少数派の意見を差し出すことにも意義もあるはず。と、なんとか折り合いをつけてこらえました。
 最大で二十作品まで投票できるのでマックスまで選んで、数を間違えないようにと一作ずつ番号をつけて確認してツイート。参加するかどうかと同じくらいなにを選ぶかでも迷ったので送信した瞬間は肩の荷が下り、これであとは結果を楽しみにするだけ……だったのですが、数日経ってから「これ、ツイートを見た人が順位付けしていると思われていないだろうか」とめちゃくちゃ不安になってきた。
 去年、一年で読んだ漫画の中から好きな作品を投票する通常の企画に参加したときから(このときもかなり恥を忍んでの参加だったんですが、恥を忍んででも名前を挙げたい漫画があったのでしかたがなかったんです)レギュレーションは確認しているので、順位付けは反映されないってことはちゃんと知っているし、今回も。されないことを知っていてあえて選択の中で優をつけるのなら信念にもなろうが、ただいい加減に映っていないか。
 これだけならまだしも、ツイートしてから作者名・作品名の誤字・脱字の多さが目に余って本当に嫌だ。なにがダメって、いったん削除して訂正したツイートでも見落としていること。さすがに三回も同じ内容の長いツイートを載せるとタイムラインを邪魔するし、二回目に気づく前に作者や版元の方にエゴサされていいねされていて、削除してまた上げなおしたツイートをいいねされようものなら携わっている方々に数秒とはいえ時間を奪うことになり申し訳ないし、でもこんな凡ミスは許せないし……で感情がグシャグシャになってました。
 そして、諸々が嫌になって投票にまつわるツイートを全部消してなかったこととして生きるか、今消したらなんのために投票したんだという話になるからせめて集計が終わるまでは待つか、集計終わったら終わったでサイトに残るわけで、もし万が一サイトの記録とツイートを照らし合わせようとした人がいたら「なんで消したの?」と余計なことを考えさせてしまうだろうから諦めてそのままにしておくかの葛藤を続けています。
 自己分析するに多少なりとも漫画に詳しいという自負があるなら少々のミスなら反省はしてもダメージにはならないのだろうけれど、入りから負い目があるから細かいことでも気になるし囚われるんだろうな。同じ「負」という漢字を使うのにこうも違う感情を表すとは日本語とは面白いものですね(語学への好奇心オチ)。



 僕から繋がりを求められても迷惑だろうからと、大喜利で付き合いがあったり多少なりとも面識のある芸人さんのtwitterを僕からフォローすることはまずしない。
 にもかかわらず、先日、間違えてある方をフォローしてしまった。誤フォロー自体は初めてではなく、これまでは即座にフォローを外すことで相手の方にも「ミスだったんだろうな」と思っていただけるだろうから、いや思っていただけると期待できるから精神的には安定を保てていた。
 ただ、今回は朝起きてからtwitterを見ていたらフォローしていないはずの方のツイートが流れて初めて間違いに気づいたので問題はやっかいだ。これまで通りにすみやかにフォローを外してことなきを得ようとしたけれどそうもいかない。まったく心当たりがないのでフォローしてからどれくらい経つのか不明だけれど少なくとも数時間、下手すりゃ数日経っているはずで、この段階で外すと「フォローされ返されていないから外した」と思われないだろうか。だとしたら失礼だと思われて不快感を与えてしまわないか、とはいえこのままにしても「急になんだ?」という違和感を与えないか不安が募る。
 と、そんな風に寝起きの重たい頭で悩んでいるうちにふと真理に至った。いや、お前は何様なんだよ。向こうはお前がなにしようとそこまで気にしない。というか親しいわけでもない相手の一挙手一投足に意味持たせるわけがないだろう。これで心が晴れるかというとさにあらず、あまりにも自意識過剰な一連の七転八倒に愧死しかけました。



 今日の昼、金がないってことをちょいとしたウィットに富ませた自虐ツイート(誇張表現あり)を軽々しい気持ちでしました。
 そのツイートの出来不出来を考え出したら底なし沼まで脱線するので棚上げするにしても、軽々しい気持ちでしたことでまたしても愧死のN歩手前に全速力で進むことに。
 というのも、今年の春先ぐらいに過去の文学フリマで頒布したテキストコント集(演じるのではなく読んで楽しむことを目的にしたネタの台本みたいなもの)をnoteで公開しようと考えたものの「かなり前のものだし手元に残るわけでもないから無料で公開するべきか」、「それはお金をいただいた方に申し訳ないから何作かをまとめるとかにしても有料(100円)にするべきか」、「そもそもクオリティが低すぎて我慢できないテキストコントが多いのが気になる」、「そんなことを言い出したらそれこそ手に取っていただいた方に申し訳ないだろう」と思考が千々に乱れた末に悶絶して塩漬けしていて、つい先日「自分なりに認められなくもないものを集めて有料(100円)で公開」に軟着陸させて(軟着陸に至るまでも葛藤はあったけれど割愛)、近いうちに取りかかろうとしていたので、こんなツイートしたら有料記事の告知した際に「こんな財政状況だから買ってくれ」という同情に訴えかける強請り集りのたぐいに映らないか不安になってきた。
 それならいっそ告知しているわけでもないんだし過去作の公開をやめようかとも思ったけれど、いやいや……それじゃ本末転倒にもほどがあるだろう。元々、次の文フリで頒布するテキストコント集のためになればと思ってのことだったんだし。と、またもやしなくてもいい葛藤と含羞に悶えることに。いずれ過去作のベストセレクションみたいな形式で出すには出しますが、そこに変な意図がないことはご理解ください。



 と、長々書いてきましたが、いい加減、ブログだけでも再開させねばと昨日からぬるりと再開したのに、早々こんな内容になったことに愧死だわな。