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宮崎智之「平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命」

 僕は心が弱い。
 まず第一に打たれ弱い。怒られたり嫌な目にあったりするとひどく落ち込むし、ことごとく引きずって不意にフラッシュバックしてはよく苦しむ。理不尽だったり悲しいニュースからは目をそらすし、考えれば考えるほど心が痛むだけだからとこの数年ニュースに対してまともに考えるのをやめたので思考力が低下していっている。
 さらに意思も弱い。この道を進むぞと決意して干支一回りするのにろくに人前に出ていないのもそれが原因(おかげでラストイヤーが数年延びる寿ぐべきでない副産物もありますが。閑話休題)、今年こそはと意気込んで瞬時に計画倒れをして、一月末の誕生日を迎えて仕切り直しを図るも計画倒れを再演させてから立ち上がり損ねたまま年末になり「来年こそは」を繰り返してばかり。すでに今年もダメそうだと打ちひしがれる中で読んだ本書は強く心を支えてくれました。


 本書はライターの宮崎智之さんがウェブ上に連載したエッセイを中心にまとめた一冊。前著の「モヤモヤするあの人」ではスーツとリュックの組み合わせの是非など日常で見かける答えの出せない違和感についてああだこうだ思考を巡らせる様がユーモラスな内容だったけれど、本書では思考を巡らせるのが「何者か」として認められたい焦燥感、アルコール依存症と離婚を経て悟った考えやその過程で疎遠になった人たちとの思い出、「熱狂型」になれなかったからこそ見出した「平熱のまま、この世界に熱狂したい」という決意、父との別離を振り返り「他に取れる態度があったのではないか」と思い悩む……中には肉体改造を決意して「細マッチョ」を目指すはずがこの言葉がどう生まれ広まっていったか歴史を辿ったりトレーニングへの忸怩たる思いを語るなど延々と遠回りを続けたり、出不精にもかかわらずズーラシアまで繰り出させたヤブイヌの魅力を造語を飛び交わせつつ語るなどユーモラスで楽しいエッセイもあるとはいえ、「モヤモヤ」と形容するには重い自身の内面と向き合った内容が多い。
 内面にある弱さや迷いと向き合い、実際に体験したことだけでなく触れてきた文学作品や歌詞を含めて得た経験をもとに自分なりの言葉に落とし込んで答えを出そうとする宮崎さんの感傷的で内省的な語りが弱いことだらけの自分に寄り添ってくれるようだし、数多くの弱さを抱えてどうすれば強くなれるのか・弱さを捨てられるかが重くのしかかって身動きが取れなくて結局は目をそらしてしかこなかったので、最後の弱さを受け入れ認めて、どう生きていくかを語られたところは勇気づけられました。
 感傷的な面とも通じているフィッシュマンズの歌詞や和歌から受けた衝撃や感銘を伝える力のこもり方と繊細な感性にこちらも感銘を受けるし、吉田健一など文学作品からの引用がどれも魅力的で話の理解や共感を深めるし引用元への興味を大いにそそられて楽しく、錯覚かもしれないですが物の見方が広がりました。


 そういうわけで僕も弱さを受け入れて宮崎さんのような生き方をしたい(さらには錯覚で終わらせずちゃんと物の見方を拡げたい)ものですが、今までの自分を顧みると遠い目をしてしまう。
 「細マッチョ」の回で厳しいトレーニングに対して「続けられないではないか」と消極的だった宮崎さんに運動が苦手な身として共感しつつ楽しんでいたけれど、今は乗り越えなければならない遥かな山を前に呆然としている身として笑えないぐらい共感をしている。とはいえ、コツコツとやっていくしかないので。アルコール依存症ではないけれど断酒と同じだと思いながら。

 個人的な話をすると月末にその年齢を迎えるタイミングで「35歳問題」を読めたのは幸福でした。ひとつ前に置かれた「私はそうは思いません」をしばらく積んでいるうちに緊急事態宣言の中で読んだのも幸福かどうかはともかく、より切迫した思いで読むことになって(この二編は流れもありエトガル・ケレットの「あの素晴らしき七年」を連想しました)忘れ難い読書体験になりました。