秀でよ凡才

出でよ天才と言われても出ていけない男

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エンタメとしての生き方を

 昨日もあまり眠れなかったのだけれど、来月からの不安ではなく遅まきながら年末に放映された某番組(タイトル書いたせいで検索で来られた方がいたら申し訳ないのでボカしておきます)を観たのが主な原因。
 タイムラインを読んで大まかな趣向は知っていたし内容自体もそれほどハードというわけでもなかったのに、寝るために部屋を暗くしようとしたら思い出して着て身動きが取れなくなってしまった。子供のころからホラーやバイオレンスは苦手だけれどこの手のジャンルへの耐性のなさに驚くやら苦笑するやら。


 なんにせよ昨日と違って夕方まで働ける程度には眠れたので仕事へ。ホラーの余韻があったからか、仕切り直して残された日をしっかり働こうって日が13日の金曜日だなんて縁起でもないなと軽く笑いながら向かったら、思いっきり14日の金曜日で混乱した。そりゃあ僕の1月13日あってないようなものだもんな。
 昼にバイト先の偉い人と面談して退職の日が来月の15日と正式に決まる。有給の消化もあるので籍自体もう少し置くことになるけれど働くのはこの日がラスト。短くなることはあっても延びることはない締め切りを切られて焦りと吹っ切れに似た諦念と苦悩が一挙に押し寄せる。大丈夫なのかね。昨日、マシンガンズの滝沢さんのインタビューを読んで、冒頭の「36歳の時にごみ清掃員を始めた(意訳)」って話にぶっ倒れそうになったのに。前に本か別のインタビューで仕事を探すのにかなり苦労して伝手を頼って決まったのが清掃員の仕事だと書かれていたけれど、滝沢さんでさえそうなら僕はどうなるのよ。
 36歳とはバイきんぐの小峠さんがキングオブコントで優勝し、マシンガンズの滝沢さんがごみ清掃員になり、椙田が路頭に迷う。そんな年齢。


 と、三日続けて同じ調子で日記を書いて実感するけれど、まるでエンタメになってねえ。一昨日、断末魔とは書いたけれどあまりに調子っぱずれで笑ってしまうような断末魔にしたかった(し、贅沢を言えばユーモアも交えつつ読んで楽しんでいただける文章にしたかった)けれど、ただただ中年が困っているだけじゃないかよ。誰が楽しむんだそんなもん。この三日の文章「特に文才や観察眼のない普通の人でも自由に文章を書いて発表できる時代です」ってことを表すサンプル以外になんの価値があるんだよ。
 どうせ仕事探しが最大限成功しても「前のバイト先より給料も働きやすさも人間関係も落ちましたけれどなんとかやっていきます」ってジリ貧を予感させる終わりにしかならないんだし、じゃあ、ジリ貧はジリ貧でいいとしてそれとは別に娯楽になるよう無理難題に挑んでみろって。どうせ公開するんだったらさ。


 と、三月以降が不安すぎて変なモードに入った勢いで、生涯続くであろうバイト探しとバイト暮らしに彩を添えるためにもなにかしらプラスアルファの収入源を模索し、その過程を綴ることにします。
 どうせなら収入の足しにするならモチベーションも上がるし好きなものがよかろう。好きなものといったらお笑いと小説かな。あと、収入にはならないけれど挑んでみたいことでいえば学問だな。と、短絡的な発想で四十歳を目途に「何らかの形でお笑いを生計の足しにする」、「小説を出版する」、「大学進学」を目標に生きることにします。一番やりたいことが一番目標小さいのはどういうことだと思いますが、まあ、そこはそれ。
 この際お笑いは置いておくとして、小説は技能どころか描きたいテーマや込めたいメッセージは一切ないし、大学に関しても具体性が全然ない興味本位だけなので、目標というのもおこがましい「半袖で冬山登ります」とか「板切れに掴まって太平洋横断します」と同レベルの妄言で、窮地に陥った中年の誇大妄想という中年の苦悩と大差ないエンタメ性しかないですが漫然と生きるよりはなにかしら繋がるものもあろうと信じて蠢いてみます(もちろんジリ貧だろうが生活を軟着陸させるのを最優先した上での話ですが)。
 それに僕の場合、物好きの寵愛を受けて仕事を世話してもらう、正確に言えば真贋のわからない物好きの寵愛を受けているうちになにかしらの真になるか、贋のまま騙し続けるか以外に穏やかに生きる道はないので、なにかしら行動している方が物好きの目に引っかかるだろうし。