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宮崎智之「平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命」

 僕は心が弱い。
 まず第一に打たれ弱い。怒られたり嫌な目にあったりするとひどく落ち込むし、ことごとく引きずって不意にフラッシュバックしてはよく苦しむ。理不尽だったり悲しいニュースからは目をそらすし、考えれば考えるほど心が痛むだけだからとこの数年ニュースに対してまともに考えるのをやめたので思考力が低下していっている。
 さらに意思も弱い。この道を進むぞと決意して干支一回りするのにろくに人前に出ていないのもそれが原因(おかげでラストイヤーが数年延びる寿ぐべきでない副産物もありますが。閑話休題)、今年こそはと意気込んで瞬時に計画倒れをして、一月末の誕生日を迎えて仕切り直しを図るも計画倒れを再演させてから立ち上がり損ねたまま年末になり「来年こそは」を繰り返してばかり。すでに今年もダメそうだと打ちひしがれる中で読んだ本書は強く心を支えてくれました。


 本書はライターの宮崎智之さんがウェブ上に連載したエッセイを中心にまとめた一冊。前著の「モヤモヤするあの人」ではスーツとリュックの組み合わせの是非など日常で見かける答えの出せない違和感についてああだこうだ思考を巡らせる様がユーモラスな内容だったけれど、本書では思考を巡らせるのが「何者か」として認められたい焦燥感、アルコール依存症と離婚を経て悟った考えやその過程で疎遠になった人たちとの思い出、「熱狂型」になれなかったからこそ見出した「平熱のまま、この世界に熱狂したい」という決意、父との別離を振り返り「他に取れる態度があったのではないか」と思い悩む……中には肉体改造を決意して「細マッチョ」を目指すはずがこの言葉がどう生まれ広まっていったか歴史を辿ったりトレーニングへの忸怩たる思いを語るなど延々と遠回りを続けたり、出不精にもかかわらずズーラシアまで繰り出させたヤブイヌの魅力を造語を飛び交わせつつ語るなどユーモラスで楽しいエッセイもあるとはいえ、「モヤモヤ」と形容するには重い自身の内面と向き合った内容が多い。
 内面にある弱さや迷いと向き合い、実際に体験したことだけでなく触れてきた文学作品や歌詞を含めて得た経験をもとに自分なりの言葉に落とし込んで答えを出そうとする宮崎さんの感傷的で内省的な語りが弱いことだらけの自分に寄り添ってくれるようだし、数多くの弱さを抱えてどうすれば強くなれるのか・弱さを捨てられるかが重くのしかかって身動きが取れなくて結局は目をそらしてしかこなかったので、最後の弱さを受け入れ認めて、どう生きていくかを語られたところは勇気づけられました。
 感傷的な面とも通じているフィッシュマンズの歌詞や和歌から受けた衝撃や感銘を伝える力のこもり方と繊細な感性にこちらも感銘を受けるし、吉田健一など文学作品からの引用がどれも魅力的で話の理解や共感を深めるし引用元への興味を大いにそそられて楽しく、錯覚かもしれないですが物の見方が広がりました。


 そういうわけで僕も弱さを受け入れて宮崎さんのような生き方をしたい(さらには錯覚で終わらせずちゃんと物の見方を拡げたい)ものですが、今までの自分を顧みると遠い目をしてしまう。
 「細マッチョ」の回で厳しいトレーニングに対して「続けられないではないか」と消極的だった宮崎さんに運動が苦手な身として共感しつつ楽しんでいたけれど、今は乗り越えなければならない遥かな山を前に呆然としている身として笑えないぐらい共感をしている。とはいえ、コツコツとやっていくしかないので。アルコール依存症ではないけれど断酒と同じだと思いながら。

 個人的な話をすると月末にその年齢を迎えるタイミングで「35歳問題」を読めたのは幸福でした。ひとつ前に置かれた「私はそうは思いません」をしばらく積んでいるうちに緊急事態宣言の中で読んだのも幸福かどうかはともかく、より切迫した思いで読むことになって(この二編は流れもありエトガル・ケレットの「あの素晴らしき七年」を連想しました)忘れ難い読書体験になりました。

倉知淳「月下美人を待つ庭で 猫丸先輩の妄言」

月下美人を待つ庭で (猫丸先輩の妄言)

月下美人を待つ庭で (猫丸先輩の妄言)

  • 作者:倉知 淳
  • 発売日: 2020/12/21
  • メディア: 単行本
 シリーズの単行本としては十五年ぶりとなる「猫丸先輩シリーズ」最新作。十五年の間にデジタル機器やSNSが急速に発展し喫煙できる場所がどんどん減って家電に弱くてヘビースモーカーの猫丸先輩には住みづらくなっただろうけれど、どこ吹く風の飄々とした変人ぶりは見参。しれっとスマホSNSが出てくる調整は入りつつも、作風は変わらない。
 その変わっていない作風が「日曜の夜は出たくない」や「幻獣遁走曲」ではなく「猫丸先輩の推測」と「猫丸先輩の空論」なのがポイント。創元推理文庫で刊行された際にサブタイトルになった「推測」、「空論」に続いて今回は「妄言」。順調に……という形容が正しいかはさておき、説得力が薄れていくサブタイトルにたがわぬ妄言のオンパレード。「妄言」ではなく「与太」という方がふさわしいぐらい。
 三題噺のようにいくつかの謎と人間心理の妙を組み合わせていくところや倉知さんらしいさりげない伏線など見どころはしっかりあるとはいえ、推理の根拠や説得力に乏しかったりそもそも猫丸先輩にまともに解く気がなかったりするので冴えわたるロジックやサプライズなどを期待すると肩透かしになるかもしれませんが、猫丸先輩の魅力もあって普通の本格ミステリでは味わえない妙なおかしみがあって個人的には割と好きです。以前の作品と比べるとユーモアの部分に俗っぽさが増えたのは若干気になりますが(笑)。
 この妙なおかしみがなにに近いかというと「落語」で、デビューのきっかけになった「五十円玉二十枚の謎」の解決編に送った投稿作に「千早振る」を引き合いに出されて評されていたけれど、そのときの謎をホラ話で呑み込んでしまう落語っぽさをとてつもなく拡大させたのがこの短編集に収録された各作という印象でした。
 もう一作読みながら連想したのは「日曜の夜は出たくない」に収録されている某作。そこで語られる推理は科学的にあり得ないもの(僕は科学まったく分からないので人の指摘を見るまで「ほえーすげー」としか思ってなかった)ですが、その推理は猫丸先輩が酒席で行われた雑談の流れで披露したもので、正しいか正しくないかは別として猫丸先輩がホラ話で第三者を丸め込むのはこの頃からやっていたと前々から思っていたこともあってその某作の持ち味をとてつもなく拡大させたのもこの短編集に収録された各作という印象でした。
 デビュー作には作家の全てが詰まっているとはよく言われる言葉ですが、二つのデビュー作を煮詰めた先にいるのが今の猫丸先輩シリーズですでに怪作に半身を突っこんでいるけれどこの路線でどこまで行きつくのか見届けたくもあり、他の作品のようなテイストも読みたくもあり。なんにせよまたふらりと現れてくれるのを待っています。

キム・ホンビ「女の答えはピッチにある 女子サッカーが私に教えてくれたこと」

女の答えはピッチにある:女子サッカーが私に教えてくれたこと

女の答えはピッチにある:女子サッカーが私に教えてくれたこと

  • 作者:キム・ホンビ
  • 発売日: 2020/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 にしても34歳である。来月誕生日だから事実上35歳、早生まれだから事実上36歳といっても過言ではないし、年齢を意識するときは実年齢に一歳足すのが習い性になっているので、気持ちの上では今日現在で37歳ぐらいに思っている。なにかを始めるのに遅すぎることはないとはいえ、始める前から費やせる時間を計算してげんなりする年齢を迎えている。
 キャプテン渡辺さんの漫談で「『でも誰々は何歳で売れたから』と言っていたけれど、その年齢を追い越してきたので最近では四十過ぎで売れた役者とかを探す作業に入っている」(うろ覚えにつき大意です。すみません)とあったけれど、もはや僕は「売れた」にすらすがれない。だって売れた人は「積み重ねた」や「続けてきた」のだから。
 そういうわけで、僕ぐらいの齢でなにかを「始めた」人の話にすがりたい。それも、それまでの人生の地続きではなく未経験の世界に飛び込んだ人の話にすがりたい。と渇望していた矢先、書評家の倉本さおりさんが取り上げていて帯も津村記久子さんだし読まなくてはと手に取ったのが本書。


 三十代・未経験でアマチュア女子サッカークラブに入団した著者の一年間を綴ったサッカー奮闘記。韓国の事情を知らないので、女子のアマチュアサッカーとなると韓国内においてどんな認識なのか想像しようがないので、前半にある「韓国でサッカーというスポーツがどれほど女性と距離があるか」(26~27ページ)という一文に「そうなの!?」軽く衝撃を受ける。
 それぐらい理解が低いので著者の心境や意図を100パーセントで汲み取れてはいない――なにせ訳者あとがきで紹介された韓国の出版関係者の言葉として「韓国で女性がサッカーの本出すって、それだけですごい勇気なんですよ」とあるぐらいだし――のだろうけれど、初心者から徐々に技術を身に着けていったりチーム内外のプレイヤーの交流(ときに心ない反応も含めて)を通してサッカーへの愛を深めていくのが楽しいし、世間的にはマイナーと思われている趣味に邁進する力強い姿に読みながら衝き動かされる。
 何度か語られるように漫画じゃないから劇的な成長やドラマがあるわけではない。地道に練習を重ねて技術を身に着けたり、失敗しては反省したり学んでいく過程は劇的なことがなにもないはずなのに語りが抜群に面白いこともあって手に汗握るほどのめりこむし胸が熱くなった。


 いきなり練習試合に出されることになった戸惑いとそこでマークすることになったシニアチーム選手とのやりとり、「オーバーラップ」の熱さ、「アウトサイドドリブル」や「リバウンド」のエピソードトークとしての完成度、「スローイン」の葛藤、「WKリーグ」の試合終了直前に起こったことから観戦後の車中の様子……などなど、喜怒哀楽のいずれもで好きで心に残った個所はたくさんあるけれど、「みんな、ホントにとどまるところを知らない。女子にもアマチュアサッカーがあるのかないのか、女子はサッカーが好きか嫌いか。そんなことに全く無関心な社会のそこかしこで、必死の思いでリハビリし、ようやくまた仲間に戻り、サッカーができなくて具合が悪くなり、サッカーを覚えるだけでは足りず審判になる準備をし、誰に命じられたわけでもないのにもっとうまくなりたいと毎日毎日練習を続けている」(234ページ)この一文と訳者あとがきで引用されている原著についたチョン・セランの推薦コメントが「始めた人」の物語にすがりたかった身として特に心に残ったし、最初から最後まですがりたいから手にした自分の邪さをブチのめされ続けました。


 来月で実年齢で35歳、気持ちの上では38歳になりますが、いずれ「積み重ね」や「続けた」にするために「始めた」に手を出してみます。なにを始めるかはこれから考えますが。

文学フリマのお知らせ

 情勢が情勢ですのでキャンセルする可能性もありますが。

 22日に東京流通センターで行われる文学フリマでケー29ブースでテキストコント集「机上のエブリデイ・マジック」を500円で頒布します。便宜上、「戯曲・シナリオ」のカテゴリで申し込んでいますが、演じるためではなく文字で読んで楽しむ漫才やコントが六作入っています。
 最初に謝罪をしなければいけないのですが、ミスが大量にあります。タイプミスや改行のし忘れに始まり、表記の不統一、目次と実際の収録順が違う、余白の設定に慎重になりすぎたせいで無駄な空白がある、挙句の果てに削ったくだりの最初の台詞を消し忘れてセリフがつながらなくなっている始末で、いつまでもこんな体たらくでいることも含めて申し訳ない忸怩たる思いです。
 ですが、ミスの多さを差し引いても読んでいただくに足りるという自負は、自惚れかもしれませんがあります。目に余る点も含めて僕らしさだけで構成された「2020年のわたし」の報告です。よかったらお読みください。

  • 漫才/服屋の店員
    • 2015年に「script.」さんから手書き作品のアンソロジーにお誘いいただいたときに書いたネタの加筆。
    • せっかくのお誘いなのに締め切り直前までなにも浮かばず、いくつかのめちゃくちゃ面白いテキスト漫才をもとに自分だったら同じ題材でどう書くか考えて、閃いたのが冒頭のやりとりで、そこからは怒涛のごとくアイディアが浮かんできたものの、他人様のアンソロジーに乗せるにはあまりに弱すぎるので「どうにかして繋げないと」、「どうにかして繋げないと」と必死になって考えました。
    • 結果、妙手が浮かんで――それまで読んできたミステリの上っ面をかっさらっただけじゃねえかよとも思っていますが――土壇場で繋がった高揚感も手伝いずっと「今まで書いたテキストネタの最高傑作」と思っていたのですが、改めて読み返すと仕掛けが薄くてビックリしたのでいくつか加えるなど手直ししました。
    • 六作のうちで一番自信のあるネタですが、上記の消そうとしたくだりの一行目を消し忘れる凡ミスをしたのがこのネタなので口が裂けても言えなくなりましたが。
    • お手数ですが、お読みいただく際は「栃城:別に田原総一朗は来店しないよ」のあとに次の台詞を入れて補完していただけるとありがたいです。
    • 槍沢:田原総一朗がいるからって朝生みたいだとは思わないよ。うわ、プライベートの田原総一朗だと思うだけだよ。とにかくこんな接客じゃダメですよ。
  • コント/本屋
    • 最初にパズルの件が浮かんで、そこをやりたいがために書きました。
    • というのも、その件のボケとツッコミの声が実在するあるコンビで浮かんだからでして。書いてみたらパズルの件も含めてそのコンビとは似ても似つかないものになりましたが。
    • 実のところ、この状況でもまだ文フリに参加するつもりでいるのはどうしてもこのコントを人に見せたいがためです。それが自己満足でしかないってことは分かっているので本当にダメそうだったら素直に諦めますが。
    • そこに限らず思いつく限りのアイディアを入れると決め、実際入れるだけ入れたので、一番思い入れのあるネタです。
  • コント/夢診断
    • 読んでもらいたい順に並べたら長いネタが続いたので短いものを入れようかと。
    • 既存のコントで悪くない評価もしていただいているので、一番信頼しているネタです。
  • コント/師匠越え
    • 目次ではこれと次のコントの順番が逆になっていますが、紹介するのが正しい順番です。
    • 完成手前まで行って「知らないだけで似たような設定たくさんやられているんだろうな」と何年もほったらかしにしていたのですが、この機会に完成させようかなと。
    • 一番ストレートにコントらしいコントだと思っています。
  • コント/作家と編集
    • 前半にああいう本屋のネタがあって後半にこのネタを入れて、これの前後がどっちも師弟関係のコントで……と、全体通してネタの要素が微妙に重なり合ってグラデーションになればと思ったのですが、効果はあったのかどうか……。
    • 題材といい転がし方といい一番趣味が出たネタです。
  • コント/破門
    • これも「知らないだけで似たような設定誰かがやっているんだろうな」と放置していましたが、設定が好きすぎたので完成させました。
    • 「コントとしても全体としてもオチがこれかよ!」とも思いますが、これしかないなとも思っています。
    • 書きながら「どうしよう! 面白すぎる!」と口走るぐらい書いていて一番楽しかった(同時にある個所では苦しくもあった)のでただの自惚れに終わっていないことを祈っています。

 「エブリデイ・マジック」という言葉を捻って「僕の目指す笑いはエブリデイ・ロジック」だと思いつき、エブリデイ・ロジックを「エブリデイ・マジックのマジックの部分がおかしな理詰めになっている」ぐらいのゆるい定義をしてから十数年。特に掘り下げるでもなく言葉の響きだけを気に入っていましたが、ようやく向き合ってコントを作りました。僕の目指すものかどうかはともかく、目指したものかはわかりませんが、こういうコントが好きです。

今週の含羞

 僕はよく間違いを犯す。単純でくだらないミスもよくするし、その場の流れ意図を汲み取り損ねるせいで場違いな言動をしては変な空気にして人様に迷惑をかける。
 それでいて虚栄心が強すぎて人様に誤解されたくない、悪意があってやったことだと思われたくないと怯えるせいで、なにかしら間違いを犯すたびに恥ずかしさのあまり強い自己嫌悪に陥る。そのたびに「この感情がN倍になったときに人は愧死するのだろうな」と思っている。Nが1.01なのか1億なのかはわからないけれど。あと、なんだったらたまにNが0.5倍に感じるときすらある。
 ……ごめんなさい。さっきは「と思っている」と書きましたけれど実際はまったく思ったことがないです。なぜなら今の今まで恥ずかしさのあまり死ぬことを「憤死」だと誤解していたから。念のために辞書を引いてよかった。本が好きといいつつこれだからざまあねえな。あと、よくよく考えると言いたかったニュアンスとしては悶死が一番近いしな。
 閑話休題。以下に書くのはいつも一人で抱えてばかりの含羞を吐き出して少しは楽なろうという目論見です。


 先日、twitterで行われた2010年代に単行本が刊行された漫画から好きな作品を選ぶ投票企画に参加しました。
 この十年に限らず漫画をろくすっぽ読んでいない僕の不勉強と不見識で参加すること自体がすでに愧死ものなのだけれど、門戸が開かれている以上は参加することは悪い事ではないだろうし、観測範囲が狭いからこそ僕がいなければ零れてしまう少数派の意見を差し出すことにも意義もあるはず。と、なんとか折り合いをつけてこらえました。
 最大で二十作品まで投票できるのでマックスまで選んで、数を間違えないようにと一作ずつ番号をつけて確認してツイート。参加するかどうかと同じくらいなにを選ぶかでも迷ったので送信した瞬間は肩の荷が下り、これであとは結果を楽しみにするだけ……だったのですが、数日経ってから「これ、ツイートを見た人が順位付けしていると思われていないだろうか」とめちゃくちゃ不安になってきた。
 去年、一年で読んだ漫画の中から好きな作品を投票する通常の企画に参加したときから(このときもかなり恥を忍んでの参加だったんですが、恥を忍んででも名前を挙げたい漫画があったのでしかたがなかったんです)レギュレーションは確認しているので、順位付けは反映されないってことはちゃんと知っているし、今回も。されないことを知っていてあえて選択の中で優をつけるのなら信念にもなろうが、ただいい加減に映っていないか。
 これだけならまだしも、ツイートしてから作者名・作品名の誤字・脱字の多さが目に余って本当に嫌だ。なにがダメって、いったん削除して訂正したツイートでも見落としていること。さすがに三回も同じ内容の長いツイートを載せるとタイムラインを邪魔するし、二回目に気づく前に作者や版元の方にエゴサされていいねされていて、削除してまた上げなおしたツイートをいいねされようものなら携わっている方々に数秒とはいえ時間を奪うことになり申し訳ないし、でもこんな凡ミスは許せないし……で感情がグシャグシャになってました。
 そして、諸々が嫌になって投票にまつわるツイートを全部消してなかったこととして生きるか、今消したらなんのために投票したんだという話になるからせめて集計が終わるまでは待つか、集計終わったら終わったでサイトに残るわけで、もし万が一サイトの記録とツイートを照らし合わせようとした人がいたら「なんで消したの?」と余計なことを考えさせてしまうだろうから諦めてそのままにしておくかの葛藤を続けています。
 自己分析するに多少なりとも漫画に詳しいという自負があるなら少々のミスなら反省はしてもダメージにはならないのだろうけれど、入りから負い目があるから細かいことでも気になるし囚われるんだろうな。同じ「負」という漢字を使うのにこうも違う感情を表すとは日本語とは面白いものですね(語学への好奇心オチ)。



 僕から繋がりを求められても迷惑だろうからと、大喜利で付き合いがあったり多少なりとも面識のある芸人さんのtwitterを僕からフォローすることはまずしない。
 にもかかわらず、先日、間違えてある方をフォローしてしまった。誤フォロー自体は初めてではなく、これまでは即座にフォローを外すことで相手の方にも「ミスだったんだろうな」と思っていただけるだろうから、いや思っていただけると期待できるから精神的には安定を保てていた。
 ただ、今回は朝起きてからtwitterを見ていたらフォローしていないはずの方のツイートが流れて初めて間違いに気づいたので問題はやっかいだ。これまで通りにすみやかにフォローを外してことなきを得ようとしたけれどそうもいかない。まったく心当たりがないのでフォローしてからどれくらい経つのか不明だけれど少なくとも数時間、下手すりゃ数日経っているはずで、この段階で外すと「フォローされ返されていないから外した」と思われないだろうか。だとしたら失礼だと思われて不快感を与えてしまわないか、とはいえこのままにしても「急になんだ?」という違和感を与えないか不安が募る。
 と、そんな風に寝起きの重たい頭で悩んでいるうちにふと真理に至った。いや、お前は何様なんだよ。向こうはお前がなにしようとそこまで気にしない。というか親しいわけでもない相手の一挙手一投足に意味持たせるわけがないだろう。これで心が晴れるかというとさにあらず、あまりにも自意識過剰な一連の七転八倒に愧死しかけました。



 今日の昼、金がないってことをちょいとしたウィットに富ませた自虐ツイート(誇張表現あり)を軽々しい気持ちでしました。
 そのツイートの出来不出来を考え出したら底なし沼まで脱線するので棚上げするにしても、軽々しい気持ちでしたことでまたしても愧死のN歩手前に全速力で進むことに。
 というのも、今年の春先ぐらいに過去の文学フリマで頒布したテキストコント集(演じるのではなく読んで楽しむことを目的にしたネタの台本みたいなもの)をnoteで公開しようと考えたものの「かなり前のものだし手元に残るわけでもないから無料で公開するべきか」、「それはお金をいただいた方に申し訳ないから何作かをまとめるとかにしても有料(100円)にするべきか」、「そもそもクオリティが低すぎて我慢できないテキストコントが多いのが気になる」、「そんなことを言い出したらそれこそ手に取っていただいた方に申し訳ないだろう」と思考が千々に乱れた末に悶絶して塩漬けしていて、つい先日「自分なりに認められなくもないものを集めて有料(100円)で公開」に軟着陸させて(軟着陸に至るまでも葛藤はあったけれど割愛)、近いうちに取りかかろうとしていたので、こんなツイートしたら有料記事の告知した際に「こんな財政状況だから買ってくれ」という同情に訴えかける強請り集りのたぐいに映らないか不安になってきた。
 それならいっそ告知しているわけでもないんだし過去作の公開をやめようかとも思ったけれど、いやいや……それじゃ本末転倒にもほどがあるだろう。元々、次の文フリで頒布するテキストコント集のためになればと思ってのことだったんだし。と、またもやしなくてもいい葛藤と含羞に悶えることに。いずれ過去作のベストセレクションみたいな形式で出すには出しますが、そこに変な意図がないことはご理解ください。



 と、長々書いてきましたが、いい加減、ブログだけでも再開させねばと昨日からぬるりと再開したのに、早々こんな内容になったことに愧死だわな。

海猫沢めろん「パパいや、めろん 男が子育てして見つけた17の知恵」

パパいや、めろん 男が子育てしてみつけた17の知恵

パパいや、めろん 男が子育てしてみつけた17の知恵

 めちゃくちゃ面白れえ。
 海猫沢めろんの人生や経験が面白くないはずはないし、海猫沢めろんの洞察が面白くないわけがないのでめちゃくちゃ面白れえのは当然ではあるけれど、にしたってめちゃくちゃ面白れえ。
 そのものずばり子育てがテーマの「キッズファイヤー・ドットコム」にしろ「ニコニコ時給800円」にしろめろん先生の小説では極端なシチュエーションと極端なキャラクターを用意して暴論スレスレの極論を語ることで社会問題を穿つ正論になるところがあるけれど、それらの小説とも通じる読み心地で、海猫沢めろんという極端なシチュエーションから語られる子育ての苦労と手探りで学んだ「デスゲーム」から救われるための知恵にはいちいち納得するし勉強になる。
 未来永劫にわたって子育てをする予定もないので本書で得た知識を実践する機会がない、というか本書から学んだことで一番フィードバックできるのは「僕にめろん先生のようなことは到底無理だから、万が一にも親になる可能性は作らないでおこう」という寂しいものになるけれども、子供との対話や妻側の負担や自分の問題を抱えながらどう折り合いをつけていくかを読むにつれ、人とどう接していくかの心構えは前よりできた気がします。
 最後に。子育てや夫婦関係とはズレた部分で感銘受けた気もしますが、個人的に一番好きだったのが習い事の章の結論に出した習い事で身につけるべきもののくだりでした。

陸秋槎「雪が白い、かつそのときに限り」

雪が白いとき、かつそのときに限り (ハヤカワ・ミステリ)

雪が白いとき、かつそのときに限り (ハヤカワ・ミステリ)

 中国南部にある高校で学生寮内でのいじめによる生徒の退寮騒動をきっかけに五年前に起 こった女子生徒が足跡のない雪の中で不審死した事件の噂が広まる。親友であり寮委員を生徒会で勤める顧千千の頼みにより生徒会 長の馮露葵は図書館司書の姚漱寒とともに五年前の関係者に調査を はじめるーー。

 後漢時代を舞台にしたデビュー作の「元年春之祭」からガラリと変わって2010年代初頭を舞台にした学園ミステリとはいえ、前作同様に設定や雰囲気、謎解きでの緻密なロジックに大胆なサプライズなど随所に新本格らしい要素が詰まった作品。これまた前作同様にいかにもな懐かしさ(と新本格が中国で伝わっている興味)を楽しむだけで終わらないで謎解きが終わったあとに描かれる物語の魅力に打ちのめさ れました。

 ネタを割ることになるので具体的なことは言えないし、そもそも感想の言語化を諦めている節もあるので伝わらないかもしれませんが、なにが好きって読んだ人の大半が納得しづらいであろうある部分の異様さ。正直、本格ミステリとしては弱点といってよく、そこで評価を下げる人がいてもしょうがないと思うし、 僕もそうなりかけたのですが、読み進めると本格ミステリとしての弱さが青春ミステリとしてこれ以上ない強み になっていて打ちのめされた。そこで描かれる物語はこういう展開や読後感を求めているから青春ミステリを読んでいると思わされるツボを直撃してくるもので、それでいて「こういう」 なんて類型でくくりきれない独自の魅力があって大好きです。

 昔から青春ミステリが大好きだけれどここ何年かは加齢のせいか昔ほど心揺さぶられることも少なくなってきたのですが、久々に没入しました。個人的に浮いているように感じられたいくつかの点が読み終わると魅了された物語を描くのにすべて必要だったわかったこともあって、ひたすら平伏しているし、読んでからしばらく経ちますがまだ余韻を引きずって思い返す度に「あー! もう! あー! もう!」と心の中でのたうち回っている。

 そんなに数は読んでないですが、個人的に2019年に読んだ中で一番好きな小説です。